ブラジルから日本へ。
アマゾン川の近くで生まれたマイクさんは、7年ほど前に桃・ぶどう畑の農家となりました。すでに収穫が進んだマイクさんのぶどう畑。「今年は暑すぎました」と少し笑いながら教えてくれます。
“奥様の実家”というその畑で収穫されるのは、数種類ものぶどうと桃。「農業は楽しいですよ」というマイクさんは、農業のどんなところに魅せられたのでしょうか。
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飯島 真生(いいじま まいく)
ブラジル生まれ。小学生のときに笛吹市に移住し、市内で義務教育を終える。その後、「ブラジルで農家をやりたい」と園芸高校に進学。結婚後、一度ブラジルに帰国するも、1年半後、日本に戻る。奥様の実家の畑を継ぎ、果樹園の担い手となる。一宮町の若き果樹農家集団「クダモノビト」のメンバーとしても活動中。
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農業に惹かれてゆく。
「小学校からは、ずっと日本にいます」という飯島マイクさん。
アマゾン川のほとりで生まれ、ブラジル・ミナスジェライスで生まれ育ったマイクさんは、それまで日本とブラジルを行ったり来たりしていました。
「ブラジルも日本も好き。転校し慣れているから、すぐに友だちもできます。幼い頃、家ではポルトガル語でしたが、日本語の方に慣れていきました」と話します。
石和に引っ越したのは小学校5年生のとき。周りにフルーツ畑ばかりの環境に移り住んだことに対して「桃もぶどうも大好きだから、ラッキーだと思いました」と振り返ります。
近所の家々が当たり前に農業を営んでいるのを見て育ち、「将来はブラジルで農業ができればいいな」と考えるようになっていったそう。
「農業を学べる園芸高校に進学しました」と中学卒業後は、園芸高校に進みました。
座学・実習で農業について知れば知るほど、マイクさんの心は現場に向かいました。高校を卒業して就職するも、心は農業から離れませんでした。
「『手伝わせてください』と懇願して、農家さんのお手伝いを始めました」と言うほどに。
家族の生活の延長。
奥様の沙友里(さゆり)さんとは、共通の知り合いを介して出会ったそう。次第にマイクさんは自分の仕事と並行して奥様の実家の農業のお手伝いを始めました。
「妻の方が色々と上手いんですよ。それに詳しい。やっぱり幼い頃から、お手伝いをして育っていますからね。妻にも話をききますか?」
マイクさんは奥様を畑に呼んでくれました。
「笠懸をしたり、ジベ付けをしたり、収穫した果物をパックに詰めたりという作業を中心に手伝っています。農業は、経験がものをいう職業なんですよね。毎年、状況が違うので『今これをしなければいけない』ということが、毎年違うんです。主人は私の両親から指導を仰ぎながら、この地での果物栽培を学んでいるところです。両親が高齢になり、跡継ぎを考えなければという時に主人が喜んで畑を引き受けてくれたことにとても感謝をしています」
飯島さんご夫妻には2人のお子さんがいるそう。
「夏は毎年畑が忙しくて子供たちとどこにも行けないんです」と申し訳なさそうなマイクさん。「でも、作業中に畑にやって来て、スプリンクラーで水遊びをしているんですよ」と嬉しそうに続けるのでした。
ここにしかないもの。
「日本の果物は本当に綺麗ですね。ブラジルのぶどうは、形も味も全然違います。パインやマンゴーはブラジルのものもとても美味しいですが、ぶどうや桃は、この地のものが圧倒的に美味しい。
実際に自分が就農して感じるのは、ぶどうも桃も、本当に手がかかるということです。収穫は夏から秋ですが、ほとんど1年中、畑のことが頭にありますし、ちょくちょく様子を見なければいけません。毎年気候は違うので、いくらでも初めてのことが起こりますし、とても難しいです。それでも最近は“綺麗なものを作っている”という実感を持てるようになりました」
農業というなりわいに合わせて、技を磨き、家族が生活を営み、子どもが育つ。
マイクさんが魅せられたのは、日本ならではの細やかな手技や気遣い、そして自然のままでいて美しいあり方なのではないでしょうか。
「誰かの口から体に入るものだから、体にいいものを。自然の中で育つものだから、環境に負担をかけないように…。僕らは、そんなことを考えています。この地の果樹農家さん、本当に“匠”ですよね」
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